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震災直後の仙台

震災直後に連絡をくれた関東在住の友人が仙台を訪ねてくれました。 地震発生当時はゴルフを楽しんでいて、突如停電になり、ゴルフ場から返される時、ゴルフ場の従業員から、「仙台駅が崩れたらしい」という情報を耳にして、私のところに電話をくれたそうです。 当然つながらず、つながったのは、しばらくしてからです。その時の彼の心遣いにはとても感謝しています。 地震発生直後、会社の飛び散った書類などをとりあえず整理した後、会社を閉めて、全員帰宅したものの、自宅内は家具が散乱し、頻発する余震の中、とても家の中で眠りことはできずに、駐車場の車の中で数日をすごしました。近所では、門が倒れ、銀行の壁が崩壊し、マンションのガラスが割れ、車も人も通らず、ひっそりと静まり返り、暖かくなりかけていたにも関わらず、突如降り出した雪に、とても気持ちが沈んだのを覚えています。 連絡も取れないまま、数日をすごし、このままではいけないと思い、出社してみると、気丈な女性社員が出社してくれていました。その時点では、業務が正常に行えるという確信は全くありませんでしたが、とりあえず、なんとかしなくては、という思いで、シャッターを半分開けた状態で、半日だけ営業をしよう、ということになりました。 その時の一番の気がかりは、海沿いから通勤していた男性社員の安否でした。彼の自宅の付近は津波の影響を大きく受けているらしい、という情報を耳にして、帰宅するのを停めなかったことが悔やまれました。 数日後、東京にいる息子とIphoneのViperなどで、連絡が取れるようになり、いろいろな情報も入ってくるようになりましたが、ガソリン、食料などの供給は依然として止まったまま。 街中では、食料品店以外の店舗でも、食料品を店頭に並べて販売したりして、さながら戦後のヤミヤのような様相を呈していました。 ほどなくして、会社の電話が復旧すると、我々は電話対応に追いまくられることになりました。 (続く)

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連休の東松島市

東松島市に災害ゴミの後片付けに行ってきました。 倉庫に流れ込んだ海水と泥で、倉庫にしまってあった物品は壊滅状態。海水が引いた後に堆積した泥が乾燥して数センチのチョコレート状になり、歩くたびに靴の底に厚くくっついて歩くのも困難な状態でした。 東松島市のゴミの改修は、震災後かなり順調に進み、街中の路上に、山のようにあったゴミは片付いていますが、家の中のゴミは、まだまだの様子です。特に浸水のあった家では、床下のヘドロの撤去が大きな問題です。

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東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分頃、東日本を襲った大地震は、マグニチュード9.0という驚異のパワーで、多くの建物に被害を及ぼし、電気、ガス、水道などのライフラインにも大きなダメージを与えました。 また、この地震は、さらに大きな二つの脅威をもたらしました。 その一つは、かつてない規模の津波でした。 10mを超えると言われる巨大な津波は、岩手、宮城、福島の沿岸の町を襲い、多くの建物を飲み込みました。そして、その瞬間まで、平和な日常を営んできた、数多くの命をも連れ去ってしまったのです。 もう一つは、福島原子力発電設備の損壊でした。4基の原子力発電設備のすべてが損傷を受け、広い地域に放射能をまき散らすという、目に見えない脅威は、福島のみならず、関東地方をも巻き込んで、多くの人を不安と恐怖に陥れています。 地震と津波の被害の最も大きかった仙台に生まれ育った私にとって、この災害は、心を震わせる大きな出来事でした。今なお傷跡が癒えず、物資の流通も 回復しない中、やっと自分の日常を取り戻しつつある状況を感謝している今、郷土の復興のために、自分に何ができるかを真剣に考えたいと、考え始めていま す。

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